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Wの奇跡!パトリッツィダイアル★ロレックス デイトナ★Ref.16520/Cal.4030

PRICE 
MODELRef.16520 デイトナ パトリッツィダイアル
MOVEMENTCal.4030 
AGE1988年 
MATERIAL18金無垢タキメーターベゼル/ステンレススティール 
SIZE38mm(クラウンガード含めず/42㎜”込み”)×47mm(ラグ to ラグ)  

SOLD OUT

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Wの奇跡!パトリッツィダイアル★ロレックス デイトナ★Ref.16520/Cal.4030のサムネイル
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Wの奇跡!パトリッツィダイアル★ロレックス デイトナ★Ref.16520/Cal.4030のサムネイル

 ロレックススポーツモデルの中でこれほど謎めいたもでるもないだろう。私の勝手な推測で歴史を少々紐解くが、1963年始動のマーキュリーに伴い、それまでのクロノグラフの活用を宇宙へと方向づけすることを”COSMOGRAPH”というペットネームに変えていった。それはRef.6062以来の復活となったが、65年にアポロ計画の最終テストに、オメガ、ロンジンと共に残ったが、70°以上の高温から-70°の低温への急激な温度差の中でのテストで時計が止るという結果の中、ロレックスは早々に方向性をデイトナという名へと転換していった。現にカーレースを記事にしたチラシは、何と1965年が初めとなる。そのチラシには未だ、DAYTONAの文字が無い.当然、アポロ計画月面着陸の1969年、オメガのオフィシャル時計しての媒体への動向を見据えるように、ロッレクスは同年、6239.6240もしかり、6241,6262も1969年にすべてデイトナは製造を終了している。1971年、ロレックスは、6263,6265を新に導入し1987年まで製造し、1988年に今回ご紹介する16500ファミリーが誕生することとなる。しかし。記憶に新しい方もいるだろうが、この年に一部のコレクターにより買い占めが起こり、定価以上の価格で取引されるという前代未聞の出来事が起こった。これがロレックスのバリューアップの引き金になったのも事実で、他サブマリーナなどもこの頃から価格が高騰していったのも事実であり、それまでの手巻きデイトナも市場が高騰していった、ある説ではロレックス自身がその買い占めを行ったという説も浮上したが、財団としての経営化では真実を見極めるは難しく今だ謎であるがこのモデルが高騰したまま現在まで来ていることも事実ではある。そんな初となる自動巻発のクロノグラフモデルは、ゼニス400キャリを36000震動を28800へと変更、そしてデイトカウンターも無くし、余計な凛冽を失くし耐久性を持たした”Cal.4030”を登載した。手巻きデイトナとおなじようにベゼル、ダイアルなど、様ざまなデザイン違いのパーツが存在し、コレクターの中でそれがプレミアム化していった。第4期となる1994年頃にはダイアルの12時間積算計の”6”標示が逆となり、その頃に新たな伝説が生まれることとなった。それは世界最大時計オークションとして名高いアンティコルムの創業者”オズワルド・パトリッツィ/OSNALDO PATRIZZI”氏が、現在、ロレックスの本としては世界で一番信用されている”GUIDO MONDANI/モンダニ”監修で知られる名のとおり、モンダーニ コレクションで、Ref.16520のクロノグラフの全ダイアルがすべて同じようにブラウンになっているものをオークションで紹介し、当時$40000で取引きされた。それは後、”パトリッツィダイアル”と呼ばれた。その定義は、『1994-5年のW番の文字だけに使用された夜光塗料が経年変化によリブラウンに変色したものである。又、製造途中でテクニカルエラーとして製造されたものをそのまま製品化したものである。』など確定してはいないが前文が正しいとされているが、W番だけの奇跡であることは事実である。他はNGとして扱われる。そんな新たな伝説を語る今回の一品は、パトリッツィダイアルの中でも第4期に分けられる内の第2期の通常のダイアルとは明らかに違いがはっきりと解るライトブラウン、小キズはあるものの、最高に状態も良い。すべて当時のままの状態であり、十分すぎるほどのオーラを持っているのは確かである。しかしそのダイアルを見る度にそこに蠢くイタリアの影なる組織が浮かんでくる。このモデルがバリューアップを起こしたきっかけとなる買い占めはイタリア人であり、パトリッツィ氏もイタリア人であり、唯一ロレックス社長と肩を並べ話せる人物であることは誰もが知っている有名な話。あのジェームスボンドモデルたるサブマリーナもイタリア人により価格が上昇したとも言われる。そしてイタリア人系の社長をロッレクスは有していたことも…この関連性はなんだろうとバカなことを考えるのは当社だけであろうが、十分にストーリーを満喫できるモデルであることもお伝えしたい。最後にこのモデル誕生と共に、クオーツからの長き暗雲の時代から機械式の時代へと移り変わっていったのもお伝えしておこう。