MODEL | ザファーストオイスター クッション ニーディッドベゼル |
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MOVEMENT | Cal.10 1/2 |
AGE | 1926年頃 |
MATERIAL | 9金無垢ローズゴールド |
SIZE | 32mm(リューズガード含めず/含み35mm)×37mm(両側ラグの先端まで) |
極上幻9金無垢ローズゴールド★ロレックス クッション★1926年頃 Cal.10 1/2
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紅に赤く染まるボディー….OYSTERという文字を立体刻印として刻んだオニオン型の竜頭も紅に染まり、腕に嵌めるときの優越感だけがこの一品の底力のように信じられないほどの輝きとオーラが辺り一面を覆っていく。
耳を澄ませば、18000振動という語らいを90年という時の年輪と共にダイアルに大きく夜光で塗布されたアラビアンナンバーの上をコブラ型のブルースティールの針が大きな時の語らいとして静かな空間に鳴り響いていく。
すべてにおいて信じるという概念を打ち消すかのように90年の時が今の時のようにそのすてすべのコンディションを純正としてのプロセスを伝えている。一見それはリダンという語り難い真実に見え、綺麗すぎることが罪のようにこの一品が真実を曇らせる。しかしキズ見を覗きこめば、そこには夜光がブルースティールのフレームに疑いたくなるほどの繊細で丁寧に夜光の塗料が盛られ、確かに古き年輪として、キズ見の世界でしかわからない、錆つきつつあるブルースティールと夜光塗料が同化してる様が芸術のようにキズ見を通してしつこいようだか、伝わってくる。…オリジナルコンデイション。
紅のボディー、そしてオニオンクラウンのみならず、バックケースのエッジ部分でさえも90年という時が経ったのも関わらず、オープナーによるキズでさえも全く無く、当然、打痕、目立つキズも全く無いことからもダイアルの状態も納得するストーリーであると確信しよう。
1926の誕生を期に初のオイスターとして4モデルを発表。1927年11月24日に英国紙デイリーメールでその4種を載せた絵と、そのすべてにおいて同価格とし、シルバーが5.15ポンド、9金無垢が10.10ポンド、18金無垢が15.15ポンドのプライス表示、そして1600ポンドを投じて4種の時計を宣伝することの偉大な事実である”1927年10月7日、イギリスロンドンの英国紙”デイリーメイル”の速記者であるメルセデス・グライツ嬢がドーバー海峡を渡るという女性では世界で2人目の快挙”である見出しと共に、そのクライツ譲がドーバーを渡りきった時にでさえもそのロレックスのオイスターは時を止めることの無かったことを伝えた…..
そう、この一品が紛れもなく、その真実の証を伝えていると言っても過言ではない。
1890年頃から戦争という世界から生み出された腕時計という世界、それ以前、女性ものの腕時計は存在したが、男性用の腕時計は戦火の中で、ポケットから取り出す手間を省く為に懐中に紐を巻いて、腕に嵌めるという自然発生的なものから誕生した。そして1900年のパリ万博でオメガが初めてWRISTWATCHという言葉を用いて時計を出品した。 それから4年後、24歳の若き青年”ハンス・ウィルドルフ”が、エグラー社(現ロレックス ヒエンヌ社)とのムーブメントの惚れ1905年にイギリスで義弟のアルフレットデイビスと一緒に”W&D社”を立ち上げた。その後、第一次世界大戦勃発により、ドイツ人名であるハンスは急遽、敵国であるイギリスであるが為に”ロレックス社”を1915年に立ち上げた。それは最初に1915年7月に認可された特許ナンバー”70926”(塵を遮断するケース)から見るように砂ぼこりの多い当時の時代、塵から守る時計の必要性から始まり、何を人は求めるのか、そしてその結果売れるものとは何かを求め、確固たる自信の下で販売していった。 それは1922年、特許ナンバー”197208”のリューズのついた本体をアウターのねじ込みケースで覆い隠すという防水ケースへと発展し、1926年6月10月18日防ケース特許ナンバー”120851”、ねじ込みリューズ初の特許ナンバー”120848”により、ハンスは確固たる自信の中である決意を下した.
『ドーバー海峡をこの腕時計をつけて泳がせよう』
それは1927年10月7日、イギリスロンドンの英国紙”デイリーメイル”の速記者であるメルセデス・グライツ嬢がドーバー海峡を渡るという女性では世界で2人目の快挙となった。そしてそれは、ドーバー海峡を渡ったという事実よりもその腕に嵌められていたのがロレックス社の時計であったことに世界は驚愕した。ハンスが、ここまでの筋書きを予測して二音いたかどうかは、現在では謎であるが、ハンスが、グライツ嬢がわたって一か月後、11月24日付けの”デイリーメイル”の第一面をロレックスの腕時計が全面広告として飾った前代未聞の出来事は、当時のロンドン市民を驚かせた。そしてその裏には4万スイスフラン”1600ポンド”(当時で日本円にして270万円)の膨大な経費がかかったことは事実であり、ドーバー海峡を渡る以前から売れるまでの筋書きが用意されていたのかもしれない。