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激希少ドクターウオッチプリンス★グリュエン★Cal.877(300) 角型

MODEL ドクターウオッチプリンス
MOVEMENT Cal.877(300)
AGE 1940年
MATERIAL 金張り
SIZE 21mm/横径リューズ含めず×41mm/両ラグ先端まで

SOLD OUT

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激希少ドクターウオッチプリンス★グリュエン★Cal.877(300) 角型のサムネイル
激希少ドクターウオッチプリンス★グリュエン★Cal.877(300) 角型のサムネイル
激希少ドクターウオッチプリンス★グリュエン★Cal.877(300) 角型のサムネイル
激希少ドクターウオッチプリンス★グリュエン★Cal.877(300) 角型のサムネイル

アール・デコは1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会を発祥とし、その建築造形としたモダニズム的考えが時計の世界を角型というものへの価値観が高まっていった…スイス、そして世界の時計メーカーは、様々な角型時計のモデルを発表し、それに伴い、ケースだけでなく、ムーブメント自体も角型となり、世界は角型キャリバーの熾烈な開発合戦へと押し進んでいく。そしてその代表的なキャリバーが
特許番号:120849、『エグラー、ソシエテ・ソシエテ・アノニウム・ファブリック・デ・モントレ・ロレックス & グルエン・ギルドA』、
それはグリュエン877キャリバーとして、そしてロレックスプリンスに搭載された300キャリバー(Cal.T.S)そのそものである。しかしなぜ、1925年自社キャリ(Cal.125)として既に角型を開発していたグリュエンが1928年にその特許の申請の名に残されたようにロッレクスと共にエグラーへの資本参加へとなったのか謎である。ドイツ人であるグリュエン創業者””が、同じくしてドイツで生まれ育った”ハンス・ウイルスドルフ”との謎たる因果関係があったのだろうか…..しかしグリュエンが突然、1936年に資本参加を降りると同時に角型としての自社キャリを開発し世界にその度肝を抜くモデル発表したのも事実である。言わずと知れたカーベックスであり、腕の曲線に合わせ、時計自体を湾曲させるどころか、ムーブメントまで湾曲させてしまった伝説”Cal.311″である。その勢いにより自社キャリをこの同時期に開発している。
 当然、アールヌーボが過ぎ去り、モダニズムとしてのヨーロッパの文化がいち早くアメリカに浸透していったようにアールデコの象徴たる角型が流行する1925年に角型デビューを果たしたグリュエンだけに角型への拘りは世界一を目指し、その為にはエグラー社の技術が必要であり、その為にロレックスと共に歩む他手だてがなかったのかもしれない、それともエグラー社自体を我がものとする為に近づいたのかは定かではないが、1936年に資本参加の突然の辞退にした裏にはロレックス、エグラー社、そこに入り込んだグリュエンのとてつもない野望があったのは事実であろう。同時期にグリュエンは角型のキャリバーを多数、世に輩出しいる。その中でも角型の王道として名高いのが、500系ファミリーであろう。まるで877キャリの遺伝子を引き継いだかのように3,4,ガンギ車の一対のブリッジの独特の形状、そしてシンプルであながらその分厚いパーツにアメリカブランドの力強さがフュージョンし、グリュエンらしい独特の形状となる。そしてグリュエンが、突然1936年に資本参加から手を引くこととなった真実の理由こそが、このモデルの最大の魅力たるドクターウオッチたるダイアル、そうプリンスそのものであり、それを自社キャリへと見事に移行し成功させた結果そのものであろう。大きく分かれた時、分針のインダイアルと、秒針のインダイアル。決してスモールセコンドでなく、完全なひとつの秒針の役割を果たす為にデザインされたそのインダイアルは、何と浅い品のある立体的アプライドのインデックスを5秒ごとに60秒までをアラジアンナンバーで表現しレイルウエイの指標をゴールドの秒針が丁寧に回り出す。当然上部のインダイアルは、視認性を十分に備えたデカ目のアラビアンナンバーを立体的にアプライドとして表現している。見た者ははそれをプリンスと感じるであろう、しかし真実はプリンスでは無く、近寄ってわかるそのサイズから自社キャリ500系の証として、18000振動のロービートと共にその真実を理解することであろう。そしてこのキャリバーがなぜ、この世に誕生したのかは、そのグリュエンの歴史的背景から薄らとわかってきたような気がする。カーベックスの裏に隠れながらも、ドクターウオッチ完全マニュファンチュールとしてのプライドをかけたグリュエンの世界を牛耳る野望たる真実がそこにはあったのかもしれない。