MODEL | Ref.1803 オイスターパーべチュアル デイデイト |
---|---|
MOVEMENT | Cal.1556 |
AGE | 1966年頃 |
MATERIAL | 18金無垢ローズゴールド |
SIZE | 35.8mm/横径リューズ含めず×43.6mm/両ラグ先端まで |
MODEL | Ref.1803 オイスターパーべチュアル デイデイト |
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MOVEMENT | Cal.1556 |
AGE | 1966年頃 |
MATERIAL | 18金無垢ローズゴールド |
SIZE | 35.8mm/横径リューズ含めず×43.6mm/両ラグ先端まで |
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その存在自体、罪とも言えるその眼差し….時計という産物にも関わらず、生きているかのような暖かい鼓動を感じる….18金無垢というマテリアルを淡い人の肌に触れることで、その肌の色に同化するように、そのピンク色の甘い輝きが、ひとつひとつの結晶が体中に入りこむような語らいがそこには存在する….
そこには、優しく時を語りかけるように淡いサーモンピンクのダイアル、そして18金無垢ピンクゴールドのアワーズ、そしてバーに型ちどった時、分針、そして秒針でさえも18金無垢ピンクゴールドとしての優しい輝きを放ち、その18金無垢ピンクゴールドのケース、バックケース、ブレスすべてに同化している…..その信じられないその光景、美し過ぎるというより芸術そのものであり、存在自体を疑ってしまうほどに、見た者すべての心を魅了しそして欲望のままにその人の心を奪っていく….
そしてその魅力の中にも実在する奇跡的な真実との出会い….
“PORTUGUESE/ポルトギーゼ”
今現在はプラチナという素材が存在するが、1803の時代はローズゴールド、ピンクゴールド、ホワイトゴールド、イエローゴールドの4種類存在し、ローズとピンクに関しては銅の配合によって異なる為、同じ個体であっても若干色合いが異なってくる。故にリファレンスでは区別することはないが、そのピンクを含むローズ、ホワイト無垢は当初、ヨーロッパ向けとして販売されていたこともあり、デイトカウンターは基本スペイン語表示となる。しかるにデイカウンターが英語表示は交換されている可能性が高いのだが、この一品は何と、ポルトガル語、別名”ポルギーゼ”。当然価値は高く、市場に出回ることはまず無い。しかもそのカウンターの色合いもサーモンピンクの色合いで、すべてのダイアルのパーツが同化している。更に驚きというより信じ固い奇跡の真実は、その独特の3連ブレス、通称”プレジデンプレス”、Ref.6611より与えられたるそのデイデイト独自のブレスまでもが、18金無垢のピンクゴールド、そしてその70年代までのプレジデントの純正シングルロックのクラスプは、当然、ロレックスのロゴが飛び出た”デベソ”タイプとなるが、その開いたそこに通常刻まれるロレックスのロゴが無く…72年製のマーキングだけである。当然そのクラスプの裏に刻印の示したる”G/F”という真実にはひとつの答えしかない…
GAY FRERES…ゲイ・フレアー社製
1835年にスイス時計の聖地でジャン・ピエールとガスパード・ティソでチェーンショップとして誕生したが、主に懐中時計のチェーンをハンドメイドでクオリティーの高い品質としてヨーロッパ全土にその名が知れ渡っていった。現在ではCGを駆使して複雑なデザインで高級ジュエリーカンパニーとして世界の要人達から熱い支持を受けているが、1900年代のゲイ フレアーブレスは完全ハンドメイドとしての繊細なデザインと実用性での耐久性への評価は非常に高く世界一とも呼ばれたほどで、ティソ、オメガ、ルクルト、ロンジン、そして高級ブランドであるヴァシュロンコンスタンタン、オーデマ・ピゲ、パテックフィリップなども採用したことでも知られる。ロレックスとしては、1930年のインペリアル、34年の、パーペチュアル発表に伴い、オイスター専用ブレスとして開発、ボンクリップ社と同じようなバンブーブレスやライスブレスまで幅広くデザインし、ロレックスのブレスの基礎を築いたと言っても過言ではない。
その希少なゲイ・フレアー社製のロレックスのプレジデントブレスも含め、すべて当時の純正品の一品。ちなみに竜頭もピンクゴールド、見た者を翻弄してしまうこの言葉に表現すること自体、この一品に失礼過ぎるほどで、感動という言葉も軽く感じてしまうこの一品、一言で言えば、『繋ぐ時計』と言っておこう……….
第一次世界大戦からの1910年から怒涛の黄金時代1920年代、そして世界大恐慌の1930年代、第二次世界大戦へと続き、1950年代までは世界は動乱の時代と言えよう。しかし1950年代初めて世界全体の一人当たりのGDPも上がり、特にアメリカ北米は79%の増加率を誇り、それに伴いスイスは、158%という歴史上まれにみる増加率となった。それはスイス時計ブランドが北米市場に向けての販売網の確率と活性化、そしてアポロ計画によるスイス時計市場の底上げにもなった年であったことも最大の要因でもあったことであろう。そんな中、ロレックスも1950年代、ご存じ怒涛のようにニューモデルを発表した。1953年、エクスプロイラー、サブマリーナ、そして1955年、GMTマスターと発表し、ロレックスのアメリカ市場、特にカナディアンロレックスを中心とした販売網は史上最の営利となるはずであった。しかし当初、現実ははかないものであり、1953年からでも7000~8000本という製造数からみても1932年のパーペチュアル開発以来、あまり変わっていないことからもわかろう。そんな中、ロッレクスはディフュージョンとして北米ブランド、そして北米エクスプロイラーなど、当初からドレスウオッチを中心としてきた他スイス時計ブランドと比べかなり苦労したてことも事実である。そして最後にロレックスが導き出した答えが、”ROLX DAYDATE/ Ref.6500,6511 ロッレクスデイデイトファーストモデル”の誕生である。それは当時、北米で流行った金無垢のドレスウオッチに旋風を巻き起こすかのように当時32mmが主流であった北米マーケットに35mm、それも金無垢のみのモデルとして誕生し、ビジネスの世界で時が重要視し始められた時代の象徴として12時位置に曜日をフルに表示させるカウンターをつけた。そして当時強いリーダーシップを求めたアメリカ経済の象徴としてアイゼンハワー大統領がデイデイトを腕に嵌めていたことでデイデイトは”プレジデント”という呼び名で呼ばれ、ロレッックス全モデルの中で当時、一番の売り上げを誇ったと言われる。このプレジデントというニックネームは実は、ロレックスのハンスから引き継がれたアイゼンハワー大統領を巻き込んだ国家的マーケティング戦略であったのではないかと現在のアメリカ人の間でもそう考えられているのも事実である。そんなファーストデイデイト”Ref.6511”は、名機1030キャリをベースとし、初のフリースプラング、マイクロステラスクリューを装備した”Cal.1055を誕生させ、たった一年たらずで”Ref.6611”へと引き継がれ、それは、1959年、”18000振動であるCal.1555”、そして19800振動となる”Cal.1556”誕生によりデイデイトの歴史に深くその名を刻みむこととなる…..
Ref.1803