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幻ブルヘッドクロノグラフプッシャ―Ref.7101★ フブライトリング クロノマット★Cal.7740

PRICE 
MODELRef.7101 クロノマット ブルヘッドクロノグラフプッシャ―
MOVEMENTCal.7740 
AGE1974年 
MATERIALステンレススティール 
SIZE41mm(クラウン含めず)×50mm(ラグ to ラグ) 

SOLD OUT

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幻ブルヘッドクロノグラフプッシャ―Ref.7101★ フブライトリング クロノマット★Cal.7740のサムネイル
幻ブルヘッドクロノグラフプッシャ―Ref.7101★ フブライトリング クロノマット★Cal.7740のサムネイル
幻ブルヘッドクロノグラフプッシャ―Ref.7101★ フブライトリング クロノマット★Cal.7740のサムネイル
幻ブルヘッドクロノグラフプッシャ―Ref.7101★ フブライトリング クロノマット★Cal.7740のサムネイル

1969年、ホイヤ-、ブライトリング、デュボア・デプラ、ハミルトン・ビューレンで開発された世界初自動巻き”Cal.11″、翌年マイクロローター部分をグレイドアップされ、ブライトリングとしても、そのCal.11からCal.12ラインは華やかなモデルを輩出することとなる。

現在のブライトリングの主力ペットネームでもある”Ref.2105/スーパーオーシャン”、ト”Ref.2129/トランスオーシャン”、そしてオールドモデルとしての”Ref.1810,1809,8806,8808,1806,819,1808″達や人気のモデルが勢ぞろいした”Ref.2111,2112,2114,2115,2116,2117,2118などのクロノマティックの猛者達、その中で伝説と謳われ、まず市場に出回らないモデルが存在する。それは12時位置にクロノグラフブッシャーを角のように装備し、6時位置にメインクラウンを装備するという世界で類をみないデザインで日本のセイコー、シチズンもこれを真似し作っているいることもご存じな方もいるであろう。

『通称”BULLHEAD/ブルヘッド”』….その名の如し角のように飛び出たクロノグラフプッシャ―を表現したこの名は”Ref.2117″として当時、全世界のコレクターの度肝を抜き、世界を駆け巡った。そしてそれは、1974年、”Ref.7101″へと、そのブルヘッド伝説は引き継がれその希少性から幻とも言われるモデルとなっていったのは言うまでもない。そして今回ご紹介させて頂くのは、その幻とも言われたブルヘッド”Ref.7101″をご紹介しよう。

その全面ヘアラインで研ぎ澄まされたケースは、未だ旋盤機を手動で行っていた時代にステンの塊を抉り取り研磨していくケース形状は、楕円を変形させ12時位置にクロノプッシャーとメインリューズの穴を開け、バックケースは、ケースにめり込むかのように大胆不敵なスクリューバックとなっている。当然、持って”ずしり”とくる感触は、驚きの何者でもない。そして特徴のあるタテめのアップダウンのクロノグラフフェイスを擁するダイアルは、落ち着きのあるブラウンを彩った両回転ののエッジベゼルと100のメモリを擁するインナーベゼルで簡単な計算尺となり、使用目的により色分けしたインダイアルには15回の脈拍からの割り出し可能な60で区切られたライトブラウンのバルスメーターエリア、そのの先をディープブラウンのタキメーターエリアが存在し、ダイアルにさえもそのディテイルに拘ったクオリティーの高さが感じられる。更に”REF.2117″のケース、ダイアルをそのまま利用したこの”REF.7101″の特徴でもある6時位置のスモールセコンドは表示が12であり、思わずその現実ににやりと微笑んでしまうのもこの一品の特徴でもあろう。搭載キャリバーは、この初期モデルに搭載されたCal.7733のデイト付キャリバー”バルジュ7734″で耐久性には抜群の定評があり、クオーツショックによりコストパフォーマンスを余儀なくされ開発されたキャリバー名機である。しかし、この”Ref.7101″は、その翌年、Cal.7740搭載モデルを最後にこの世から姿を消したと言われる。そんな今回、ご紹介する一品の中に隠れた真実のヒストリーは一人の英雄の命と引き換えに、今日存在することは真なる事実であることを皆様にお伝えしたい…..

ブライトリング3代目ウィリー・ブライトリングと若きジャック・ホイヤー(現タグ・ホイヤー名誉会長)は、世界初自動巻きクロノグラフ開発の為にスイスクロノグラフマニュファクチャー協会を設立、その後、莫大な開発費の苦難の為、その世界初自動巻きクロノグラフは一時、断念されたが、最終的にデュボア・デプラ、そして要となったマイクロローターを提供したハミルトン・ビューレンなどを巻き込み1969年3月それは開発された。そしてそれはスイス時計史の新たな幕開けとなるはずだか、その開発の中心人物となり莫大な資金を調達したブライトリング”ウィリー”に待ち伏せていたのはあまりも過酷な現実であった。

彼に忍び寄ってきたのは機械式を全面否定することとなったクォーツの開発、更に追い討ちをかけるように1973年オイルショックも重なり世界初自動巻きクロノグラフ神話がもろくも崩れ去っていった。ウィリーは危機を乗り越える為、”オーレッヒ&ワイス社”、”SINN”などの数社にクロノマティックのケース、そしてその”Cal.11″までもを身売りし、当時のバルジュ-社に設計図さえも売ることとなってしまった。更に最後の切り札であったナビタイマー主力ムーブ”178キャリ”のヴィーナス社がエボーシュ連合として統合され、”178キャリ”の生産を打ち切るなど、信じられない現実をウィリーを襲い、幾度と病で倒れた。1974年頃からの彼の最後の指名はブライトリングの血を永遠に絶えさずに引き継いでくれる会社を探すことであった。そして彼の思いは当時、電子工学の技術者であり、シクラというクオーツ時計ブランドを経営していたアーネストシュナイダーへと引き継ぎがれた、しかしクオーツを専門としていた彼がブライトリングに求めたものは、機械式クロノマットの復活であった。それは1984年イタリア空軍”フレッチェ・トリコロール”記念モデルを発表し、世界でそのモデルが人気を博し、機械式が見直され、世界的な機械式の復活のきっかけとなった。

そしてそのブライトリング家の魂でありアーネストとウィリーの熱き友情の証として現在でも語り継がれているのは間違いない。2009年、ブライトリングがETA2010年問題をきっかけに自社クロノグラフ”BO1″を発表した。そして1994年アーネストから経営を引き継いだ”セオドアシュナイダー”がこうマスコミにコメントを残している。

Cal.BO1開発はブライトリングを独立ブランドとして守る為には必然であったと…..