クールストア販売商品

激希少Ref.877/8★グリュエン ドクターウオッチ テクニクァドロン/プリンス★1928年 Cal.877S

PRICE 
MODELRef.877/8 ドクターウオッチ テクニ クァドロン/プリンス
MOVEMENTCal.877S  
AGE1928年頃 
MATERIAL14金張りエクストラゴールド 
SIZE22mm/横径リューズ含めず×42mm/両ラグ先端まで 

SOLD OUT

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激希少Ref.877/8★グリュエン ドクターウオッチ テクニクァドロン/プリンス★1928年 Cal.877Sのサムネイル
激希少Ref.877/8★グリュエン ドクターウオッチ テクニクァドロン/プリンス★1928年 Cal.877Sのサムネイル
激希少Ref.877/8★グリュエン ドクターウオッチ テクニクァドロン/プリンス★1928年 Cal.877Sのサムネイル
激希少Ref.877/8★グリュエン ドクターウオッチ テクニクァドロン/プリンス★1928年 Cal.877Sのサムネイル
激希少Ref.877/8★グリュエン ドクターウオッチ テクニクァドロン/プリンス★1928年 Cal.877Sのサムネイル
激希少Ref.877/8★グリュエン ドクターウオッチ テクニクァドロン/プリンス★1928年 Cal.877Sのサムネイル
激希少Ref.877/8★グリュエン ドクターウオッチ テクニクァドロン/プリンス★1928年 Cal.877Sのサムネイル
激希少Ref.877/8★グリュエン ドクターウオッチ テクニクァドロン/プリンス★1928年 Cal.877Sのサムネイル
激希少Ref.877/8★グリュエン ドクターウオッチ テクニクァドロン/プリンス★1928年 Cal.877Sのサムネイル
激希少Ref.877/8★グリュエン ドクターウオッチ テクニクァドロン/プリンス★1928年 Cal.877Sのサムネイル

アールデコを象徴する今回のグリュエンの一品、1920年代の希少なこの一品は、ケースサイドのきめ細かな彫金の加工が繊細で丁寧に仕上げられ、より美しく角型のフォルムを最高の出で立ちへと変える。シルバーの透き通る鋭利な輝きが、格段とこの一品の美しさを盛り立てている。当然、ダイアルは、プリンス同様、Cal.877(ロレックス/Cal.300)の証としてドクターウオッチの表情を2つのサークルのスケールをレイルウエイに描き、そのクオリティーはエンボス加工として何度も塗り返すことで立体的な表情を魅せ、不思議な世界へと見た者を導くことは間違いない。当然、ケースは90年以上も経っているにも関わらず、目立つキズ、打痕も全く無く、当然ヤセも感じさせないくらい完璧な様相をはじき出す。

TECNHI-QADRON….テクニ クァドロン

アール・デコは1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会を発祥とし、その建築造形としたモダニズム的考えが時計の世界を角型というものへの価値観が高まっていった…スイス、そして世界の時計メーカーは、様々な角型時計のモデルを発表し、それに伴い、ケースだけでなく、ムーブメント自体も角型となり、世界は角型キャリバーの熾烈な開発合戦へと押し進んでいく。そしてその代表的なキャリバーが 特許番号:120849、『エグラー、ソシエテ・ソシエテ・アノニウム・ファブリック・デ・モントレ・ロレックス & グルエン・ギルドA』、 それはグリュエン877キャリバーとして、そしてロレックスプリンスに搭載された300キャリバー(Cal.T.S)そのそものである。しかしなぜ、1925年自社キャリ(Cal.125)として既に角型を開発していたグリュエンが1928年にその特許の申請の名に残されたようにロッレクスと共にエグラーへの資本参加へとなったのか謎である。ドイツ人であるグリュエン創業者””が、同じくしてドイツで生まれ育った”ハンス・ウイルスドルフ”との謎たる因果関係があったのだろうか…..しかしグリュエンが突然、1936年に資本参加を降りると同時に角型としての自社キャリを開発し世界にその度肝を抜くモデル発表したのも事実である。言わずと知れたカーベックスであり、腕の曲線に合わせ、時計自体を湾曲させるどころか、ムーブメントまで湾曲させてしまった伝説”Cal.311″である。その勢いにより自社キャリをこの同時期に開発している。  当然、アールヌーボが過ぎ去り、モダニズムとしてのヨーロッパの文化がいち早くアメリカに浸透していったようにアールデコの象徴たる角型が流行する1925年に角型デビューを果たしたグリュエンだけに角型への拘りは世界一を目指し、その為にはエグラー社の技術が必要であり、その為にロレックスと共に歩む他手だてがなかったのかもしれない、それともエグラー社自体を我がものとする為に近づいたのかは定かではないが、1936年に資本参加の突然の辞退にした裏にはロレックス、エグラー社、そこに入り込んだグリュエンのとてつもない野望があったのは事実であろう。